社長インタビュー
秋山記念生命科学振興財団
秋山記念生命科学振興財団
理事長 秋山孝二氏
第4回「これから介護をになう若い人へのアドバイス」(4回連載)
若い世代へのアドバイス
「人生の予習をさせてもらっている」
北上
介護の事業者として働く若い20歳代、30歳代の人たちに対してアドバイスをお願いします。
秋山氏
私は有料老人ホームの経営をやっていたときに、そこの責任者が、「人生の予習をさせてもらっている」と、若い人ではなかったけれども言ったことがあるのです。
有料老人ホームに入居している人というのは自立しているわけです。
ですからやはり自分がああいう年の取り方をしたいと感動する場面が多いというわけです。
その人の人生を聞いているだけですごい、あの人に何かしてあげるというよりも、いろいろなことを教えてもらったと言っていました。
棺桶に入るときには一人でしか入れないのだというようなこととか、死んだときにはどうだとかいうことよりも、そこまでの人生を価値あるもので生きていたいということに対する意欲が、自立している高齢者にはあります。
勿論、それはほんの一例で、もっと弱者としての高齢者がたくさんいることは承知しています。
しかし、そういったところで働くことによって自分の人生にとって学ぶことが多い。
単なる短期雇用では、いくら繰り返しても学ぶことは少なくなりますね。
収入を得たいがためにやっているということでは、まさに「労働」の域を超えないわけですから。
せっかくこういうことに関わるのだとすれば、少なくとも高度成長期を支えた人たちから、表でやった人、陰でやった人も含めて、貴重な人生経験を学ぶことができる場として考えれば非常にいいのではないかなと思うのです。
そのためには多少余裕をもった仕事でないと、人手のないところで駈けずり回っているのではすり切れてしまいますから。
実際、特別養護老人ホームなどはそういうところも結構多いようですし。
北上
「人生の予習だ」というのはモチベーションが上がる言葉だと思います。
秋山氏
8割が辞めてしまうといわれたけれども、介護のなかで高齢者とサービス提供者との間に、何というか無力感と今後が見えない部分があると感じます。
そこでは、高齢者をいつも見てあげているというサービス提供者の姿勢や、サービス提供者自身への励ましといったことに対して、しっかりとした意味づけをしないといけない。
それは社長というよりも現場の責任者だと思うのだけれども、この分野というのはまだまだこれからなのだと思います。
北上
介護関係のヘルパーさんや、これから働いていこうという人たちがこのメッセージとかを聞きますけれども、私が逆の立場でそのようにいわれたら非常にモチベーションが上がりますね。使命感といいますか。
秋山氏
今のあなたの仕事は社会的にこういう意味がある、あなたの人生にとってこういう意味があるということを言い続けることが重要だと思います。
そのためには事業に対する理念ですね。
やはり言い続けなければダメなのだと思います。
この事業に参画したい、やりたいと思って来ましたという面接のときの話ではなくて、日々それが確認できる、あるいはそういうことをし続けることが必要なのではないでしょうか。
ですから報酬に見合ったというのは、たしかに若いときの最初の体験というのは非常に大事ですね。
普通の会社でも学生時代に好き勝手やってきた人は、朝定刻に出てくることだけでも大変だといっているから、そんな寝ぼけたことをいわないでくれ、と以前私は新入社員にいった覚えがあります。そういうタイプの人もいます。
それからすると、介護では残業もへったくれもない、そして誰も見ていないところの仕事ですから、一生懸命やろうがそうでなかろうが本人自身の反応しかない。
その本人がうんともすんともいわないような人だったら、普通はモチベーションが下がってしまいますから。
サービスの質を良質なものにということは、今おっしゃったような「励まし」とか「評価」とか、大変地味で日々着実な努力の積み重ねの話ではないかなと思います。
特段のハードウェアが必要だとか、情報機器がどうだということとはちょっと違いますよね。
労働集約というのは、たくさんの人を抱えているという意味ではもともとモチベーションの比率が大きいものですね。
ですから高度成長期のときは実績重視で、会社に戻ってきたらいくら売れていたとかね。
ところがだんだんその手法だけでやると、一生懸命にやっても前年比割れの時期が続いていったときに「1年間やってきたことはなんだったのか」となってしまう。
そういうことを価値づけていくということをやはりやっていかないと、普通に黙っていればモチベーションが下がるのではないでしょうかね。
言い換えるならば経営の差が明確になる、面白い時代ですよ。
介護事業者のあるべき姿について
人材を育てていくステージ
北上
重複するような話もありますけれども、今度は介護事業者の方々に対してあるべき姿とか、そのへんも含めまして何かございますか。
秋山氏
介護事業は日本という社会のなかではまだまだ緒についたばかりですから、頭数はいたとしても人材としてはまだまだ育てていかなければならない時期でしょう。
育てながら実績を上げていくというステージだと思うのです。
これからも人の頭数はいても、10年ぐらいは人材不足の状態が続くという前提で、経営者サイドがいろいろなことを織り込んでやっていかないと一挙にはいかないのではないかと思うのです。
ですから最初に人材育成にお金がかかることは承知のうえでやっていかないとね。
北上
私どもは、こんな考えを訴えていくことを考えています。
「人材を獲得するためには募集広告費用ではありません。人材というのは投資をしなければ来てもくれませんし、教育も何もできないのです。いわんや介護事業者としてあるべきサービスもできなくなってしまいますから、ぜひとも私どものサイトに投資をしてくれ」ということです。
秋山氏
なるほど。
そのアプローチはとてもいいと思います。
頭数的な問題と、あとは日々のOJTなわけですから、中期的ですけれども、実践と座学とのやり取りのなかで人を育てる。
少なくとも3年で辞めてしまうと育てている暇もないという感じですね。
北上
おっしゃるとおりなのです。
そこにギャップがあるのです。
早い方だと1週間いないとか、次の日に辞めるという人も珍しくないらしいのです。
秋山氏
私も1日で逃げ出したアルバイトがありました。
夜勤で、厚いガラス版を移動リフトの皿の上に乗っけて、指示看板の数字が変わると今度は自分が乗っけたものを下ろすのです。
3個に1個だったのが今度は4個に1個とかで、一晩やったら頭がおかしくなってしまって次の日に連絡もしないで辞めてしまいました。
東北からの出稼ぎの人が沢山来ていましたね。
今まで投げ出したことがなかったけれどもあれだけはね。
夜中に夜食だといって出されたのが塩しかまぶしていないおにぎりで、なんだか酸っぱいのが上がってきて。
夜が明けて帰っていくときには、二度と行く気がしませんでしたね。
転職サイトへの期待
ミスマッチは両方にとって損失
北上
それでは締めとして、e介護転職というサイトに、何か役割というか、こういう期待をするということがあれば一言お願いいたします。
秋山氏
「転職」は従来型の終身雇用という社会的な基盤のなかでは、何か問題があったのかという印象だったと思います。
私自身もそうなのですが、大きな転職を何回かしたときに自分にとっては一つのチャレンジですけれども、一方でこれまで関わってきたところからすると、途中で投げ出したというような気持ちがどこかに引っかかりとしてはあるわけです。
投げ出したということはないし、あるいはそのようにいわれたこともないのだけれども、自分なりに何回か転職をしてきて55歳になってみると、そろそろ今までの中からこれをやりたいというのが判ってきました。
日本の場合、自分の会社では育たない人材というのが、絶対にいると思うのです。
例えば学校でも転校生が来たときに日本の場合の紹介の仕方は、転校生に対して「この教室・学校に早く慣れなさい」といいます。
アメリカですと、「あなたが持ってきた違った経験をこの教室で生かしてくれ」という言い方で担任の先生は紹介するといいます。
別にアメリカの教育がすべて正しいと言うつもりはありません。
ただ、やはり転職というのは、一つの違った世界を知っている人材という意味では、これからも非常に重要なことだし、それがまた違う場所に行くことによって、大変な価値になってくると思うのです。そう私は信じているのです。
そういう人たちが一人でも増えてくるための手助けになるビジネスという意味では、非常に重要だと思います。
ですからビジネスとして収益を上げるということと、転職後のライフスタイルに満足度が高いということで、成果がはっきり出てくるのだと思うのです。
その意味でこれからは面白い時代だし、頑張っていただきたいなと思います。
北上
ありがとうございます。
非常にありがたいお話です。
秋山氏
仕事を変えるというのは、社会的にはある種憧れとか羨ましさがあるのです。
辞めることができる人に対する羨ましさ。
「俺なんかここを辞めたら行くところがない」という声もあるのですが、社会的な目は結構冷たいものが今まではあったと思うのです。
けれども勇気を持って職場を変えてみる、あるいは自分で業を起こしてみると、これまでの経験の価値を再認識すると思います。
経営者もそのようになってきたほうがいいですね。
あの会社でうまくいったことと、うまくいかなかったことが次の会社のマネージメントのときに生かされることもあるでしょう。
そうでないとその会社のはえ抜きでしか上に上がれないという、どうしても成長の限界が出てきます。
上が辞めるか、下が辞めるかの違いなのかもしれませんけれども。
先ほどの話で1日とか1週間で辞めてしまうというのは、辞めた人にとっては自信にはつながりませんね。
自分にとっては辞めてしまったという気持ちのほうが強いと思います。
そういう人がたくさん出てくるということは、せっかく若さがあって、そういうことに対して興味をもったにもかかわらずもったいないですよね。
ですからそれをそのままにしておくというのは良い事ではないと思います。
北上
私どもは求人のネット上だけではなくてリアル媒体の人材紹介もやっていこうとしているのです。
そのなかでやはり単に横流し的にやるのではなくて、今秋山さんもおっしゃっていたように、どこか後ろめたさとか次のステップに不安あるところに、入りやすいような付加価値を与えて、いわゆる社会貢献のような事業ができたらと考えております。
秋山氏
ミスマッチは両方にとってマイナスだと思うのです。
事業者にとっても結局初期投資がいろいろと、簡単にいえば広告代にしてもかかりますね。
それが実る前に辞めてしまう。
移った人にとっても非常に大きなマイナスになる。
それをいかにうまくマッチングするかということは、逆にいえば社会の資産を減らす要因を、少しでも少なくするということだと思います。
北上
ある意味で損失なのです。
前向きの充電とかではなくて、誰の自信にもつながってこないというところが資源としてももったいないですね。
秋山氏
少し違った話ですが、教育の目的というのは対象の子どもに自信を与えること。
教育というのは、子どもが自分はこれをやったとか、成し遂げたということで自信をもって次のチャレンジができること。
昔、中学校の先生で、そういわれた方がいたのですけれども、大変明瞭ですね。
自信をつけるためには、タイプによってはみんなの前で叱りつけると発奮してやるタイプもいれば、徹底して褒めて自信をもつタイプもいれば、それはひとえに子ども一人ひとりの資質をまず教師が見るということなのです。
集団のなかでその人間がいろいろなヒーローをつくり出し得る懐を、教室のなかでもち得るかということだと思います。
仕事もそうですよね。
こちらでダメだといわれた人が、違うところに行って光る場合がありますし、そういうことはたくさんあります。
逆に「この上司ではね」と積極的に辞める人もいるでしょう。
そういう人的資源のなかで流動性ができるということは、いろいろな視点から評価ができるという意味ではいいことだと思うのです。
北上
かつて学校の先生をされていたのですね。
秋山氏
5年ほど中学校の教員をやっていて、そのときに私自身が学びました。
最初は自分のやってきたことを教えようと思ったのです。
それで1学期のときに中間試験をやったら、50点満点だったのですが0点が15人いました。
唖然としました。
それで「しょうがないな。これだけ一生懸命教えたのに」と思って返していたら、0点を取った子どもが自分の答案を返されると点数のところをパッと見るわけです。
あのときは本当に申し訳ないなと思いました。
0点を取った子が最初から、「自分はできなかったから」とそのままゴミ箱に捨ててくれれば楽だったけれども、やはり見るわけです。
ですから「なんてことをしたんだ」と思って、そこから要求水準を下げながら手取り足取りやりました。
あのへんは自分なりに象徴的に覚えていますね。
ですから先ほどのすぐに辞めてしまうということは、要求するほうと要求されるほうとが、どうなのかわかりませんがどこか合っていないのでしょうね。
あるいは自分の認識からすれば報酬がこんなに安くてというけれども、利益からすればやはりいくらのものということがあります。
私は若い人が安いと思うほうが、たぶん間違っていると思うのですけれども、やはりそれを説明するプロセスが必要なわけです。
最初の給料日のときとか、あるいは採用するときに説明するということが必要です。
社会で人生最初にもらう給料が「なんだ、こんなに低いのか」となれば、その後がやはり大変でしょう。
それと閉塞感といいますか密室でのやり取りも長いし。
北上
悶々としてきますよね。
秋山氏
そのへんの仕組みは難しいことではなくてカウンセリングだったり、面談だったり、案外泥臭いことではないかなと思うのです。
「それは大変だね」ということを誰かに承知してもらっているというだけで、仕事を続けられるという事があるような気がします。
若い人が辞めるのは何か理由があるわけで、理由もなく辞めるということはないと思います。
北上
もともと財団をされようとした大きな原因というのは何なのですか。
秋山氏
話が長くなりますが、昔、北海道大学が薬学部を創設するときに私のおじが副発起人だったのです。
それでお金集めをして、自分も協賛したのです。
医薬品卸売業をしていましたから、いずれ何か役に立つという読みもあったのだと思いますが。
伯父・伯母には子どもがいなかったもので、それで薬学部ができたあとに奨学資金を本当にポケットマネーで出していたのです。
年間5人ぐらい、渡し切りの奨学資金なのですけれども、まだ昭和30年代だったと思いますが、毎月一回自宅に呼んで、「今月はどんなことを勉強したの」と食事をしながら話をしていたわけです。
そのときに私も子どもでしたが末席のほうにいたのです。
15年ほどやってピリオドを打ちました。
その後、ちょうど秋山愛生舘が100周年のときに、以前にやめた人材育成とか、医学や薬学といったものに助成をしたいとなったわけです。
その当時というのはポケットマネーというのは価値があったのだけれども、社長のポケットマネーというと逆にいうと、うさん臭いといいますか、会社としての取組みではないので、「財団法人」として私ともう一人で、北海道庁を主務官庁として設立に関わったのです。
「秋山記念生命科学振興財団」といいますが、「生命科学」というのは、亡くなられたある先生が「21世紀はライフサイエンスだ」という理由からです。設立が20年前なのです。
秋山愛生舘が上場すると、上場企業ゆえに収益と株主が最優先とならざるを得ず、北海道への社会貢献ということで「地域に対してはこの財団法人のほうでやりましょう」ということです。
研究助成でスタートしましたが、3年前から社会貢献活動助成として、NPOや市民活動にもお金を出し始めたのです。
今、公益法人協会でトヨタ財団さんとかキリン福祉財団さんと一緒に勉強会をやっているのですけれども、やはりああいう非常に健全な基本財産を運用してやっているところは、皆さん社会的な使命感も大変強いです。
一方では、天下り先としての補助金漬けで、天下りもそこへ何十人も入っているという財団もありますけれども、公益法人協会に集まっているところは皆さん素晴らしい活動をされていますね。
公益法人の改革法案が先日衆議院を通りましたから、おそらく近々成立すると思います。
ですから時代が少しずつ変わってくる可能性があります。
寄付ということも、アメリカあたりの株式会社では資金調達のなかでのウエートが結構高いのですね。
そういう意味では少しずつ変わってくるのかなと思います。
北上
大変良いお話をしていただきました。
ありがとうございました。
これで秋山様の4回連載は終了します。
秋山記念生命科学振興財団 財団概要
■設立年月
1987年1月8日
■理事長
秋山 孝二
■お粉事業
【褒賞及び助成】
・秋山財団賞
・新渡戸・南原賞
・研究助成(一般助成・奨励助成)
・社会貢献活動助成
・ネットワーク形成事業助成
■その他の事業
・生命科学に関する講演会
・財団年報、ブックレットの刊行